あじさい

DSCF0652小学生の頃、集団登校する道ばたにアジサイの花が並んでいる路地があった。
小学生にとっては、雨の中に咲くアジサイは、桜の花よりも興味深かった。

花の色が変化する。
しかし一日のなかで色が変化することはなくて、もっぱら土壌が酸性かアルカリ性かに左右されて花の色が変わるのだ。

アントシアニンという色素が含まれている。アジサイにはアントシアニンの一種のデルフィニジンが含まれている。アントシアニンは、昨今ではブルーペーリーの健康効果をうたうことで知られるようになった。
何だか、健康に良さそうなアジサイだが、じつは毒を持っている。
それは後ほど述べるとしよう。

アジサイは土壌のpH(ペーハー/酸性度)によって花の色が変わる。
一般に「酸性ならば青、アルカリ性ならば赤」になる。
リトマス試験紙を懐かしく思い出す人もいるだろう。

僕などは、科学大好き少年だったから、日本橋三越の玩具売り場にあった『科学工作実験キット』のなかにセッとされていたリトマス試験紙に夢中になった。父親にねだって買ってもらった。
酢やら、灰汁やら、石けん水やらにリトマス試験紙を漬けては色が赤くなったり、青くなったりするのに大はしゃぎした。

アジサイの色の変化も、理屈は同じだ。

土のpHが花の色に影響する。すなわち、土壌が酸性だとアルミニウムがイオンとなって土中に溶け出し、アジサイに吸収されて花のアントシアニンと結合し青色を呈する。土壌が中性やアルカリ性であればアルミニウムは溶け出さずアジサイに吸収されないため、花は赤色となる。

土壌がコロコロと酸性になったり、アルカリ性になったりはしないから、ひとつ処に咲いているアジサイの花の色が、コロコロと変化することはない。

アジサイの語源ははっきりしない。
有力なのは、あづさいだ。集真藍と書く。藍色が集まったものを意味する。

紫陽花と漢字で書く理由は知らない。
紫と書くのは、藍色に充てたのだろうと推察できるが、陽の文字は似合わない。
5月から6月の、梅雨でジメジメした雨降りの季節に咲くのだから、陰気な花で、だったら紫陰花と書いたほうがふさわしい気がする。

DSCF0650東京文京区の白山神社では、毎年、紫陽花祭が催される。
神社の境内とその周囲に、アジサイの花が咲き並ぶ。

白山神社の紫陽花祭りに出かけた。
6月の晴れた日で、祭りの終盤だった。紫陽花の花はすべて刈り取られていて、茎だけが並んでいた。残酷な光景に思えた。

翌年に出かけたのは、曇りときどき雨の日で、アジサイの花が色とりどりに並んでいて、僕は白山神社の紫陽花祭りが、どういうものかを見ることができた。
それでも、晴れやかな気分にはなれない。アジサイは陰気な花だと改めて思った。

小学生の頃は、花の色が変化する不思議さにワクワクしたものだが、大人になってその理屈が変哲のないものに思えると、興味は醒めてしまうのだろうか。

アジサイの毒については、あまり知られていない。
日本料理の盛り付けに添えられたアジサイの葉を客は食べたわけではないのに、食中毒を起こした。たしか2008年のことである。

他にも、アメリカでアジサイを食べた牛が痙攣して死んでしまったとか、どこかの国でアジサイを食べたヤギが、ピョンピョンと飛び跳ねてから結局は死んでしまったとか、噂なのか真実なのか分からないニュースを聞いたことがある。

僕は、チョウセンアサガオなどに含まれている毒のアルカロイドの一種だろうとネットで検索したが、そうだと断定はできないらしい。

根から抽出されたヒドランギンという青酸配糖体(グリコシド)が中毒の原因であると考えられていたが、1963年にこれは誤りであると報告されているらしい。

そうなると、アジサイの毒は何に由来するのか。
ここで花の色の変化に興味を失っていた僕は、アジサイの謎の毒性についてがぜんと興味をそそられる。

漢方薬として使用されるアジサイの品種から、フェブリフジンが分離されている。
マラリアの治療薬として使われる他に、自己免疫疾患の治療薬としても研究が進められているらしい。
それでも、アジサイの毒は品種によって、化学式が異なるらしい。

植物の成分なんて、現代科学をもってすれば、化学のオーソリティの腕にかかれば、簡単に分離されて、簡単に化学組成が解明されるんだろうと思っていると、それは大間違いなのだという事実をアジサイは、僕たちに突きつけてくる。

アジサイの毒は、まだ治療が困難な病気を解決に導いてくれるかもしれないと想像すると、陰気な花が陰湿な青色や紺色や赤色になる、まるで忍者みたいに謎だらけの花の色の変化にも意味が潜んでいる気がしてくる。。

そういえば、白山神社の紫陽花祭りに出かけたときに、一句詠んだ。

紫陽花に 傘のしずくを 捧げおり

季重なりの凡庸な失敗作なので、句集には入れなかった。

TOP