パーカー万年筆
(イギリス)

DSCF0429作家であるから、万年筆を使っている。

もっとも小説にしても、ノンフィクション作品にしても、雑誌への記事を書くにしても、現在では、パソコンのキーボードで文字を打ち込むようになってしまった。

よく驚かれるが、ワードは使わない。一太郎も使わない。
大量の文書を打ち込むには、エディターソフトを使う。

では、パソコンに向かいさえすれば、たとえば小説の文章が想起されるかというと、これまた違う。

ジャーナリストとしての記事はともかく、文芸作品や、ノンフィクション作品を執筆するときは、万年筆を使う。直筆とは不思議なもので、じっくりと考える間が生まれる。そうすると性急な文章ではなく、熟考された文章がペン先から原稿用紙に走り出すのである。

「あ、このペースならキーボードに移っても書き続けられるな」
と思えたときに、やっと万年筆からパソコンへと執筆道具をチェンジする。

小説を書くときだが、僕は必ず下書きを用意する。

レジュメとかプロットとか呼ばれるものだが、要は、これから執筆するストーリーを原稿用紙に下書きしておくのだ。あらすじである。1時間で書けるときもあれば1週間以上かかるときもある。

このときこそ小説作品の方向性を決める。このときこそ、精神状態は研ぎ澄まされていなければならない。このときこそ、そして万年筆でなければいけない。

DSCF3850パーカー・デュオフォールド・インターナショナル。ニブサイズはF。

僕は、他にもモンブラン(ドイツ)や、モンテグラッパ(イタリア)や、ペリカン(ドイツ)や、GFファーバー・カステル(ドイツ)や、ウォーターマン(フランス)や、ラミー(ドイツ)や、カランダッシュ(スイス)や、クロス(アメリカ)や、パイロット(日本)やプラチナ(日本)やセーラー(日本)や、カトウセイサクショ(日本)や、中屋(日本)の万年筆を使っている。

それでも、どうにもあらすじが書けないときには、パーカー・デュオフォールド・インターナショナルの万年筆を握る。原点回帰である。

ニブと呼ばれるペン先は、パーカーの場合は総じて硬筆だ。
モンブランやペリカンなどは、ニブがしなる。柔らかい傾向にある。

僕は筆圧が強くて、速いスピードで書く癖がある。
これが硬筆のニブとの相性が良いことにつながるらしい。
パーカー・デュオフォールドにはセンテニアルというひとまわり太くて長い軸の万年筆があるが、これを握ると、同じ硬筆なのに、どうも疲れる。長い時間を筆致できない。

僕は把持力が強くて、太い軸だと指先が疲れてしまうらしい。

そういういくつかの理由で、出番が多いのがパーカー・デュオフォールド・インターナショナルの万年筆だということになる。

銀座の伊東屋文具店で買った。たしか24歳のときだったと思う。

パーカー万年筆。
1863年、ジョージ・サッフォード・パーカーは学生たちに万年筆を売りながら、その頃はインク漏れがあるのが当たり前だった万年筆の構造の改良に取り組む。
1894年、パーカーはラッキーカーブと呼ばれるインク漏れのない万年筆の開発に成功する。
1924年、パーカー社はロンドンで事業を始める。
1962年、英国王室御用達に認定される。

パーカーらしさは、矢羽根のクリップと、軸の色づかいにある。
パーカー以前は、万年筆とは黒い筆記具と決まっていた。
1921年に赤い万年筆のビッグレッドを発表する。
1927年には黄色い万年筆のマンダリンイエローを発表する。
これはジョージ・サッフォード・パーカーが日本の七宝焼きに感銘を受けて、その色を万年筆に持ち込んだというエピソードがある。

胸に挿してるマークはパーカー
パーカー・デュオフォールド・インターナショナル。

駆け出し記者の僕は、一ヶ月の生活費あたる原稿料を、たった一本の万年筆に費やしてしまった。

週刊朝日の編集部には、デスクと呼ばれる上司たちがいた。
20代の僕からしたら、熟年のおじさんで、何でも知っていて、雲の上の人たちばかりだった。
ジャケットの胸ポケットには、万年筆を挿していた。
それはモンブランのホワイト・スターのマークだったり、パーカーの矢羽根のクリップだったりした。

しかしデスクたちは、口を揃えて言うのだ。
「浦山っ、取材現場では万年筆は使うな。シャープペンを使え」
「浦山っ、原稿を書くときには万年筆を使うな。鉛筆を使え」

理由は簡単だ。
「万年筆のキャップを開いている瞬間に、ノック式のシャープペンならすでに筆記を始められる」
「万年筆のインクが現場で切れたら、何も書けない。元も子もない」
「万年筆のインクが飛び散って、現場を汚すかもしれない」
「万年筆は高価なので、無くす可能性がある現場で、使用するべきではない」

原稿用紙に万年筆を使わない理由も簡単で、
「万年筆のインクが乾くのを待てるか、そんな時間があったら、さっさと鉛筆で書け」

だから僕は、取材現場でも、原稿用紙に文字を書くときも、プレスマンというシャープペンを使った。
http://www.platinum-pen.co.jp/sharp_06.html
http://prw.kyodonews.jp/opn/release/201505260487/

その名の通り、記者のためのシャープペンである。

では、デスクたちの胸に挿した万年筆は、いったい何だったのか。

江戸時代の武士が、めったに刀を抜かないように、新聞記者なのに万年筆のキャップを抜かない。

「ああ、武士の魂が刀なら、記者の魂が万年筆なのかな」

そう思ってこのコラムが終わるなら、ロマンチックである。

週刊朝日の編集部から遠ざかって、20年以上が過ぎた。

もちろん、今でも朝日新聞社で仕事をすることがある。
そして懐かしい先輩デスクや編集長は、すでに定年退職してたまに僕と一緒に食事をしてくれる。
今でも朝日新聞社に籍を置く先輩や同期や後輩と、会食をする。

居酒屋のオヤジになっている元週刊朝日デスクにして、元週刊朝日編集長(出世したわけだ)のMさんに2015年3月に会った。

昔は怖くて聞けなかった質問をした。

「どうして使いもしない万年筆を胸に挿していたんですか」
「そりぁ、書くために決まっているだろ」
「何を書くんですか」
「辞職願だよ、掲載した記事について責任を取れなんて、上役ともめたときに、叩きつけてやる辞表をいつでも書けるように、俺はモンブランを胸に挿していたんだ」

すると、やはり元週刊朝日デスクにして、アサヒパソコンの元編集長のIさんが言った。
「いやぁ、Mさんは万年筆で、クレインのレターセットにせっせとラブレターを書いていたでしょう」
「えっ……」
と絶句すると、I元編集長は僕のスーツの胸ポケットを見て、
「へぇー、浦山君は相変わらずパーカー・デュオフォールド・インターナショナルかぁ。その万年筆は今でも現役なの?」
とワインのグラスを傾けた。

するとM元編集長は、
「おぃ、浦山はパーカー75を使っていたこともあっただろ。お前、あの万年筆で誰にラブレターを書いたんだ」
と、からかうように笑った。

僕は万年筆でよく手紙を書くが、ラブレターだけは書いたことがない。

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