マンホール

hole34雨の日にマンホールの上に乗ると、靴がすべって足を取られたり、ときには転んだりした経験はあるだろうか。マンホールは、ふだんは気がつかないが、路上のあちこちに存在する。

マンホールと慣習的に読んでいるが、マンホールとは人が入る穴で、Man Holeである。

地下水道や地下配線などに侵入するためのたて穴がマンホールで、我々が慣習的にマンホールと呼んでいるものは、正しくマンホールの蓋である。

このマンホールの蓋は、地域によって、自治体によって、用途によってもデザインが異なる。
どうして余人はそこに関心を払わないのだろうと僕などは不思議に思う。
多くの人は、マンホールの蓋の上をただ踏みつけて通り過ぎていく。無関心だ。

僕は取材でその土地を訪ねると、マンホールの蓋に着目する。
宮城県内であっても、仙台市は、じつに仙台市らしいデザインだし、松島市は松島の景観がデザインされているし、塩釜市に行くとまたデザインが変わるといった具合である。

地方を旅していて、マンホールの蓋のデザインが変わることで、
「ああ、自治体の町境や市境を越えたのだな」
と気がつく。

極彩色にペイントされているマンホールの蓋もある。

沖縄県の竹富島のマンホールなどは、無彩色でじつにシンプルだ。

ヨーロッパのマンホールはときに芸術的なデザインのものがある。

カナダはおおざっぱで、アメリカ合衆国もとりたてて秀逸なデザインのものにはお目にかかっていない。韓国のソウル市にあったマンホールの蓋は、目的地案内版になっていた。量産したものではなく、その場所にオリジナルのマンホールの蓋を作ったのだろう。

東京都のマンホールの蓋も見飽きた。けれど、台東区のアメ横や上野公園にはオリジナルのマンホールの蓋が設置されている。アメ横のものは鐘がデザインされていて、上野公園のものは桜花がデザインされている。

そう考えると、マンホールの蓋をデザインする専業のデザイナーが存在しているということになりはしないか。できることなら、マンホールの蓋のデザイナーに会ってみたい。

そのマンホールの蓋の下には、どんな地下水脈や配線が走っているのだろうかと想像すると、自分がいま立っている道の下に、もうひとつの世界があるのだと気がつかされて、おもしろい。

映画『ローマの休日』で、アン王女を驚かせようと、新聞記者のジョーが真実の口に手を入れるシーンがあった。アン王女を演じたのはオードリー・ヘップバーン。ジョーを演じたのはグレゴリー・ペックだった。

イタリアの首都ローマのサンタマリアインコスメディン教会の外壁にある石造の円盤には、海神トリトーネの浮き彫りが施されている。この口に手を入れて、偽りの心を持つ者は手が抜けなくなるとか、その手を食いちぎられるという伝説がある。

グレゴリー・ペックの手が抜けなくなった様子にあわてたオードリー・ヘップバーンが、ペックのスーツを着た身体にしがみつき、その手を抜けさせようと必死になる。
やっと抜けたペックの右手は切断されていて、スーツの袖からは無くなっていた。

その姿に、アン王女が驚いて叫ぶ。
瞬間に新聞記者ジョーは、スッと手をスーツの袖口に伸ばして、笑う。

アン王女が、自分を騙したことに抗議し、一瞬の後に安堵の気持ちを表現する。
少女が男の身体を力弱いこぶしで叩くなんてシーンは、最近はお目にかからなくなった。

わずか10秒にも充たないこのワンシーンは、純真で無垢な乙女がスクリーンいっぱいに表現されていて、オードリー・ヘップバーンの女優としての真価を象徴する名シーンだった。

この真実の口のシーンは、台本にはあったが、アン王女がジョーの身体をこぶしで叩くというのはオードリー・ヘップバーンのアドリブだったとかいうことだ。

真実の口は、1632年に、教会のモニュメントとして飾られることになった。
もともとは古代ローマの下水溝の蓋だったらしい。つまりはマンホールの蓋だったらしい。

となると、世界一、出世したマンホールの蓋である。

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