国宝カメラマン

DSCF3522写真家、桑原英文さん。入江泰吉さんの最後の弟子だ。

そして、僕のジャーナリズム界での先輩である。
かつては新潮社フォーカスの写真記者を務めていた。

近畿から紀伊半島の寺院、仏像などを撮影していて「国宝カメラマン」と呼ばれている。
http://www.post.japanpost.jp/kitte_hagaki/stamp/tokusyu/2002/0723_isan/index.html

http://kasajizou.exblog.jp/4826453/

↑ググッたけれど、これしか見つからなかった。

その昔、僕が夫婦というものを営んでいたときに、よく奈良のご自宅に泊めてもらった。
そして大和路を随分と案内してもらった。

人柄がおだやかにして鋭い。
その人柄が写真にも現れている。

「悩んでいるということは、考えていないということです。撮影するべき仏像にしても、お寺の建物にしても、刻一刻と光が変わり、表情が変わってくる。動かないものだと思いこんでいますが、そこにどっしりとある千年のときを経てきたものでも、じつは一瞬ごとに表情が変わっていくんですよ。……それがねぇ、悩んでいると、何ぁにも考えていない写真になるんですわ。じーっと見つめていて、あっ、この仏様は、こういうことをいま私に言いたいんだ。うん、その瞬間にシャッターをきりますねぇ。すると写真がね、見る人にも語りかけてくれる写真になるんですわ。写真に限らず、人の仕事とはね。そういうものと、ちゃいますか……」

「人は決められた定めを、嫌でも進む。嫌がるとますます嫌な道になります。決められた定めは、けっこう自分が選んだ道なんですね。それなら嫌がらずに進んだ方が、気が楽とちゃいますか」

「かえでの樹を丹精している人がいましてね。でもその日に、ちょっとしか剪定しない。なぜならかえでは、春には春の、夏には夏の、秋には秋の、冬には冬の景色にとけこんで樹としての美しさを見せるんですね。春に春らしい剪定をしてしまうと、夏に剪定するときに枝葉が伸びきらなくなってしまう。夏に剪定しすぎると秋の表情に間に合わなくなってしまう。では、ほったらかして自然に任せていれば美しくなるかというと、やはり人の手を加えてやらないと、かえでの美しさは成り立たない。完璧に美しくしてしまうと、巡り来る季節に合わせられなくなってしまうんですね。化粧も同じで、完璧に美しくしてしまうと、そこからほころびてくるんですわ。人物撮影をするときは、モデルさんを完璧には化粧しない。もうちょっと化粧すると美しいのになぁというところで止める。するとその人の内面に秘せられていた本当の美しさが現れるんです。それを写真に収めます。見た目の美しさに内面の美しさを加えるためには、完璧はじゃまなんです。かえでの樹を丹精するのも、人を丹精するのも同じとちゃいますか」

発言はまるで、奈良の名僧侶である。

「いゃあ、感服しました」と僕が言えば、

「何がですか……。私は何も言っていませんよ。感服した浦山さんの心が、私の思いつくままに話した言葉から、何かを捉まえたんでしょう。浦山さんの答えは、もうとうに、あなたのなかに、あったんとちゃいますか。……あ、お茶をどうぞ……」

桑原英文さんは、今日もどこかの古刹でシャッターを切っている。

TOP