時間

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時間がない。生きるのに時間が足りない。僕はあ然とする。

60歳の還暦を目前にして「果たして、あとどれだけ書けるのか」を考える。
あと10年もすれば、僕は執筆できなくなってしまうのではないか。

それは定年退職後に、老後の生活をゆったりと生きる会社員とは違う生き方を選んでしまった、というより迷い込んで「こう生きるしかなかった僕」の人生の設計図に、綿密な計画も予算組みも完成という決着点も、何の支度もしなかった僕の落下点なのだ。

時間がない。睡眠時間は4時間だが、それでも眠り過ぎだと自責する。
1日が24時間しかない。1日が48時間あっても、僕には足りない気がする。

僕には休日はない。疲れ果てて眠り込んでしまうことはあるが、元日も、ゴールデンウィークも、お盆休暇も、クリスマスも、そして大晦日にも僕は仕事をしている。
ちっとも偉いなんて思わない。
なんて時間の使い方が下手なんだろうと、やはり自責する。

やらなくてはいけないことが僕を急かす。
陰陽師として鑑定をしたり、祓跋をしたり、祭儀をしたり、除霊をしたりする。
だが、その日のそのタイミングに合わせて、僕は事前支度に時間を費やす。
お祓いを受ける人たちは、僕が事前に精神と肉体を酷使しているなんて思わないだろう。
事後の魂の救済にも、僕は自分の魂を震わせて、祈る。
お祓いを受けた人たちは、僕が祭儀の後にも、祈り続けているなんて思わないだろう。

医療ジャーナリストとして、医学や薬学の情報を読みあさる。
専門医に会う前に、医学知識や、医療政策や、何より患者さんたちの声を頭のなかに叩き込んでおかなくてはならない。
診察と治療と予後に、どれだけの医療労力が注がれるかを、取材が済んだ後にも見守らなければならない。
人体と自然の神秘に魅了されることは、科学でもある。アートでもある。思いやりでもある。社会制度でもある。医師や看護師や臨床検査技師や薬剤師の舞台裏でもある。生きるという命題そのものでもある。
執筆が終わってしまえば、それで医療の視座は要らなくなるわけではないのである。

小説を書かなくてはならない。
思いつきで作品が書けるほどには、僕は文才に恵まれていない。
作品を書くためには、毎日を研ぎ澄ませて生きる必要がある。
依頼が来てから、構想を練るのでは遅い。
筆を執れば、言霊が踊り、流れ、奏で、描かれなければ物語は完結なんかしないのである。
服を着ること、言葉を聞くこと、食事を口に運ぶこと、ただ眠ることにも隙があってはならない。

イン-ストックという会社を経営しなければならない。
経済活動を超えて、人材を育てなければならない。
ありがたいことに僕のもとを巣立っていった門下生たちは、出版人やジャーナリストや作家にとして、ひとかどの評価を得ている。
が、巣立った門下生たちに対して僕は責任がある。
いま僕のもとに居る門下生に対して、僕には責任がある。
「つまらぬ者は金を残す。まずまずの者は名を残す。すぐれた者は人を残す」
僕は人を残す者でありたい。

落語も聴きたい、音楽も聴きたい、映画も観たい、絵画も観たい、靴も磨きたい……。
そんなふうに、生きてきたら、いつの間にか時間がなくなっていたのである。

時間を想うときに、忘れられない事例がある。
出産を終えたばかりの20代の母親が、末期がんの宣告を受けた。
余命は半年。
女の子の赤ん坊は、まだ眠ることと乳を飲むことしか知らない。
夫は会社を辞めるわけにはいかない。
生活費を稼がなければならない。
愛する夫と過ごす余命は絶望的なほどに短い。
我が子の成長を見守る時間さえ残されていない。
時間がない。
彼女はあ然として自分の時間と向き合わなければならなかった。

心理学によるアドバイスが彼女を絶望の氷結点から救うことになる。
それは我が子の誕生日ごとに、母親として語りかけるビデオレターを録画することだった。
時間はないのではなく、時間は生きる自分を活かすためにあると知る瞬間だった。
我が子の20歳の誕生日までに観せるビデオレター作るため、ビデオカメラに向かって語りかける。残された人生の時間を笑顔で生きることに彼女は希望を抱いた。
続いて、夫に、友人に、両親に残すビデオレターを録画したあとに、彼女は逝った。

時間はないのではなく、今を生きるための指標なのである。

僕には時間がない。でも今を生きることに手を抜いたりはしない。

歌舞伎役者の坂東玉三郎が言っている。
「このまま歳をとれば、いつか踊れなくなるかもしれない。でもそれは明日ではないだろう。だったら、今夜は明日の舞台を務めることだけを考えてできる限りのことをして眠りに就こう」
僕には時間がない。
だからこそ、いま猛烈に坂東玉三郎が踊る歌舞伎の舞台を観たかったりする。

今を生きることの職人と、同じ時間を共有するためにだ。

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