消しゴム

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小学校1年生のとき、担任の鈴木瑠津子先生から、
「消しゴムを使うのはおやめなさい」
と言われた。

「消しゴムを使うのはまだ6歳の皆さんには、とても難しいことなのよ」
と言われた。

「間違えて書いてしまったことにこそ、お勉強しなくてはならない大切なものが残るのよ」
とも言われた。
若い美人の背が高い先生で、
「間違えて書いてしまったら、鉛筆で線を引きなさい」
と指導された。

僕はあわてて、真新しい消しゴムを筆箱にしまった。

鉛筆と消しゴムは、ペアの組み合わせのようでいて、相対する文具でもある。
何しろ、鉛筆がせっかく書いたことを、消しゴムは容赦なく消去してしまう。
消しゴムが消した鉛筆の跡には、筆圧の痕跡が残る。
消したつもりでも、本当は消えていないのだ。

失敗を繰り返す人生のような、恋愛のような、後悔のような、言い訳のような消しゴムである。

こう書いて、この文章がキーボードによる入力でなかったら、僕はこの恥ずかしい比喩を消しゴムで消していただろう。

消しゴムの代わりに、Deleteキーが、筆圧の痕跡さえ残さずに文章を消してしまう時代になった。

消しゴムという文房具は決して主役になれない。
鉛筆で筆記した文字がなくては、消しゴムの存在理由はどこにも、まったくないからだ。
それもまた哀愁を喚起する理由だろうか。

DSCF0141『私の頭のなかの消しゴム』というタイトルの韓国映画を観た。
2005年に日本で公開された映画だ。韓国では2004年の公開だったようだ。
日本の『Pure Soul 君が僕を忘れても』(2001年、読売テレビ制作)が原作である。
裕福な階級出身のOLスジンと、学歴のない大工の青年チョスルの恋愛映画だった。
反発しながら惹かれ合う二人は、結婚するがスジンが若年性アルツハイマーを患う。
記憶が、失われていき、ついには夫のチョスルが誰なのかも分からなくなる。
「私の頭のなかには消しゴムがあるんだって」
とスジンが微笑みながらチョスルに打ち明けるシーンがクライマックスだった。

もともとは『Pure Soul君が僕を忘れても』の永作博美のセリフだった。
イ・ジェハン監督が映画を制作する際、原作のこの台詞をタイトルに採用した。
思うに、消しゴムをタイトルにしたことが、この映画のヒットにつながったのだと思う。
それほど、消しゴムは学齢期にあったアジア人にとって、郷愁とともにあるのだろう。
想起させるイメージは、どこか淡くて、切ない。

『私の頭のなかの消しゴム』の宣伝コピーは「死より切ない別れ」だった。
アジア人と書いたが、欧米では、小学生の年齢から万年筆を使う。
高級な万年筆ではなく、ペリカン社のペリカーノJrやラミー社のサファリなどが使われる。
鉛筆はヨーロッパではイレギュラーな筆記具で、消しゴムも使われない。

欧米で『私の頭のなかの消しゴム』が上演されても、大ヒットしなかったのは、消しゴムへの郷愁を持たないからだろう。

欧米に消しゴムがまったく存在しないわけではない。
そもそも消しゴムが発明されたのは、1770年にイギリスのジョゼフ・プリーストリーが、ブラジル産の天然ゴムが紙に書いた鉛筆の字を消し去る性質があることを発見したのが起源とされている。
ドイツ・ニュルンベルクのステッドラー社は製図用の筆記具のメーカーだが、消しゴムのメーカーでもある。
ドイツ・ハンブルクの筆記具メーカー、ロットリングも消しゴムを作り続けている。

日本ではレーダーのブランド名で知られる消しゴムメーカーの株式会社シードが2015年に創立100周年を迎えた。
大阪市都島区の小さな企業だが、消しゴム界のみならず、世界に与えた影響は大きい。

トンボ「MONO」ブランドの消しゴムもOEM製造してきた消しゴムメーカーである。
1958年に、世界で初めてプラスチック消しゴムを開発したメーカーで、ちなみに世界初のインク用の修正テープを発明したメーカーでもある。

現在では、天然ゴム由来の消しゴムは見かけない。
世界中で使われている消しゴムのほとんどがプラスチック消しゴムである。

だから、レーダーは知る人ぞ知る消しゴムメーカーなのだ。
しかしトンボという大企業の影に隠れて、まるで自社の功績を消しゴムで消されてしまったかのような企業である。
消しゴムという文房具は決して主役になられない。

もしかしたら、消しゴムは、主役になれないのではなくて、ならないのかもしれない。

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