漱石の手紙

手紙やハガキを万年筆の直筆でよく出すが、まず返事をもらうことはない。
きっと相手は困惑しているか、迷惑しているんだろう。

僕には手紙についての著書がある。2002年に朝日新聞社から出版された。『心にひびく日本語の手紙』だ。

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夏目漱石/森鴎外/尾崎紅葉/石川啄木/芥川龍之介/太宰治といった作家たちから織田信長/坂本龍馬などの歴史的人物(あっ、明治の文豪ですでに歴史上の人物か)そして渥美清や柳家小さん、一ノ瀬泰造、米長邦雄という、最近の人たちの手紙まで収録した。それぞれに寸評というか、コラムを書いた。巻頭と巻末にはエッセイも載せた。
手紙好きが高じて手紙の本を書いたのである。

夏目漱石我が輩は無銭である

夏目漱石世の中そんなに甘くない

『心にひびく日本語の手紙』を書くうえで、大量の手紙を調べて、読み込んだ。
感心驚愕したのは夏目漱石の手紙群。
それはまさに群れと言っていいほどだ。漱石は毎日のように、せっせと手紙を書いていた。

なかでも印象に残るのは、しおりの紛失の詫び状への返事だ。
漱石が庭木の葉っぱを利用して書籍のしおりを作った。
門下生のひとりに、おみやげとして持たせた。
その門下生は本を読んでいるときに風にしおりを飛ばしてしまい、それを漱石に詫びる長い手紙を書いた。本当に漱石を尊敬していたのだろう。そして畏れてもいたのだろう。
漱石の返事の手紙は、たった一行だった。
「そうですか、ではまた取りにいらっしゃい」
それだけを書いて、しおりを無くした門下生に送っている。
カッコイイ。

もう一つは長文だが東大を卒業した門下生が、漱石の著名を頼って、
「せっかく東大まで出たのだから、それなりの就職をしたい。そして国もとの両親を喜ばせたい。両親に近所の人への自慢をさせてやりたい」
と述べてあった手紙への返事だ。
「志は自分のために、自分の力で登っていくものだ。自分で試しもしないうちに、学歴があるのだからとか、私に頼めばもっとよりよいところにだとか、国に自慢するためだとか、そんな頼ってばかりの気持ちで得た職があったとして、その先を自分の力で歩んでいけるか……」
と叱る手紙だった。
「そしてそんな気弱で他人の顔色ばかりをうかがっていてはたいこ持ちのような生き方になるぞ、もっとしっかりしろ。●月●日 夏目漱石」
と書いて手紙は終わっているのだが、この手紙とは別に推薦状が1通だけ、ポンと同封されていたというものだ。
門下生は、その手紙に恐縮し、その推薦状に涙したという。

愉快なのは門下生たちに送った手紙で
「食事会をする。食うだけなら午後6時から、手伝うつもりなら午後5時からいらっしゃい」
という手紙だ。芥川龍之介たち門下生たちは、5時より早めに駆けつけたに違いない。
この3つの手紙は『心にひびく日本語の手紙』には、収録していない。
自分の書斎から見える季節の移ろいを、芥川龍之介や寺田寅彦や鈴木三重吉などに書き送っているのもホッとする師弟関係で、じんわりと良い手紙が多い。

どうも、漱石は、小説の原稿を書く前や、書き終えた後の神経を鎮めるために、せっせと手紙を書いていたのではないかと僕には想像される。

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漱石が日本橋丸善にオーダーメードしていた専用原稿用紙の復刻版が何と、丸善で販売されているというので、わざわざ買ってきた。
買ってくると、これは原稿ではなくて手紙を書きたくなった。

僕は、毎日のように万年筆で、手紙を書いては、送る。
手紙を受け取る人たちは、たぶん迷惑しているのだろう。
だから、気の利いた返事をもらったことはない。

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