紅茶

DSCF6254

お嬢様が苦手だ。

お茶の水のアテネ・フランセという学校で僕は英語を鍛えていた。
本当は、フランス語を勉強するつもりだった。
國學院大学で第二外国語にフランス語を履修したからだ。でも入学窓口で
「待てよ、その前に英語を鍛えるべきじゃないか」
と思って、英語のクラスに入学した。真理子さんは、その英語のクラスにいた。

父親は大学教授、兄は東京大学の講師、真理子さんは女子美術大学の学生で、板橋区の高級住宅街に住んでいる。
英語の発音が、チンチンラリンと聞こえた。
話し方がサナトリウムで闘病している薄幸の少女という風情で、容姿は細身でワンピース。
下町の下駄屋の息子には縁のないお嬢様だと思って、まったく意識していなかった。

アテネ・フランセでは英語の授業が終わると、生徒同士でお茶の水の喫茶店でおさらいの談笑会が開かれた。僕も毎回のように、喫茶店に出席した。
真理子さんは、早稲田大学に通っているアメフト部を自慢する筋骨隆々とした男からアタックされていて、しかし嫌な顔を見せない。ますます僕とは縁のないお嬢様だと思った。

真理子さんは、コーヒーが苦手で、いつも紅茶を注文していた。
ティーバッグの紅茶だった。
「本当は、紅茶が好きなわけじゃないの。ただ、コーヒーの苦いのが嫌いなだけで」
と真理子さんが言うと、筋骨隆々は、
「ほぅほぅ、それを英語で言い直すと?」
と自分は日本語しか話さないのに、やたらと真理子さんに英語をしゃべらせようとした。

真理子さんが、またチンチンラリンと英語を発音する。
筋骨隆々は、悦に入る。
「I know what enshrine the delicious tea shop in tokyo」
僕は、べつに真理子さんを誘うつもりもなく、ただ筋骨隆々に嫌悪を示すために、そう言った。
「Do you invit me to drink tea together?」
とチンチンラリンと声がした。
「Shall We?」
と真理子さんは、さらに言葉をなぞった。

そういうはめになった。

次の日曜日に、僕と真理子さんは地下鉄に乗っていた。
まずは、お茶の水にあったサモアールという紅茶専門店でアッサムを勧めた。
次に、原宿にいまもあるクリスティーで、ダージリンとスコーンを注文した。
それから銀座にあったリプトンティールームで、アールグレイを飲んだ。
東銀座にあった日東紅茶のスタンド式ティールームにも行った。
それから……、僕はただ、無骨に東京にある紅茶の美味しい喫茶店へと、真理子さんを連れ回した。僕が案内した喫茶店は本当に紅茶専門店でコーヒーを置いていない店だった。
「紅茶って、おいしいんですね。知らなかった」
と真理子さんは日本語で僕に言った。

いまでは、原宿のクリスティーだけが残っている。

初夏の夕方の地下鉄丸ノ内線が、御茶ノ水駅を通る。
地下鉄なのに、一瞬だけ神田川にかかる橋の上を走るときに地上に出る。
真理子さんはベンチシートに座って、まぶたを閉じて、寝顔を夕日に照らされていた。
丸ノ内線が、池袋駅に着いて、真理子さんは東武東上線に乗り換える。
僕は池袋駅の地下道で別れの挨拶をした。

お嬢様は苦手だ。
ぜったいに自分からは告白しない。

だから、そういうはめになった。

真理子さんを東京中の紅茶専門店に案内したその日の夜、僕は自室の電話で、真理子さんにとりとめのない話を1時間以上はしていたと思う。
哲学の話とか、小説の話とか、陰陽道の話とか、会話の内容は断片的にしか覚えていない。
「わたし、馬鹿ですよ、それでも良いんですか」
それが真理子さんの返事だった。
告白をした覚えはない。
でも、真理子さんがチンチンラリンと、そう返事をしたことだけは覚えている。

渋谷のガード下の、ロック喫茶で、ピンクフロイドのレコードを聴いた。
作詞家を志していた僕の直筆の歌詞の原稿用紙を、真理子さんは写筆してくれて、
「これでレコード会社に原稿を持ち込んでも、原本は残ります」
と手渡してくれた。
真理子さんの写筆の文字は、ブルーのインクで、やはりサナトリウム闘病生活風の、まるで堀辰雄の「風立ちぬ」のようなお嬢様文字だった。

真理子さんの家に電話をかけると、いかにも大学教授の妻である口調のお母様が、電話口に出るようになった。
「真理子はただいま外出しております。ご用件はお伝えしますが」
と、いつも決まって丁寧な挨拶を僕にした。

伝言をしても、真理子さんから電話がかかってくることはまったくなく、僕は手紙を書き送った。ある日のこと、そのお母様から僕に電話が入った。
「お手紙はすべて拝読いたしました。この手紙は真理子には渡しませんが、よろしいですか」
携帯電話もメールもない時代だった。どうしようもないと思った。

お嬢様は苦手だ。
ぜったいに自分からは、連絡をしてこない。

それで真理子さんとの仲は、それっきりになってしまった。
しばらくは紅茶を見ると、切ない気持ちになって、僕はコーヒーばかり飲んでいた。

銀座に、マリアージュフレールが開店したのはいつだったか。
フランスの紅茶専門店で、たぶん東京で一番美味しい紅茶を提供している。
特徴は香りで、マリアージュフレールでは、わざわざ香茶と表記している。
http://9oo.jp/jpAGL7
http://9oo.jp/EFJOQZ
僕のお気に入りは、カサブランカとマルコポーロ。

真理子さんとふたりで紅茶を飲んでいた21歳の僕。
マリアージュフレールでひとりで紅茶を飲む56歳の僕。

たまにコーヒーを忘れて、紅茶だけを飲みたくなる。
コーヒーを忘れたいのは、僕の自我を消し去りたいから。
紅茶だけを飲むのは、集中と思考ばかりしようとする僕の精神を強制終了したいから。

ただ、ティーカップを傾けると、ときどき地下鉄のベンチシートに寝顔を揺らすお嬢様を思い出して、せっかく忘れた自我を呼び覚まされてしまい、困惑するときがある。

TOP